その試みは失敗していた/KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「三文オペラ」ブレヒト作、谷賢一演出@KAAT神奈川芸術劇場 ホール

みなとみらい線日本大通りの駅を降りると、横浜ベイスターズの本拠地なのだな、とすぐわかる。看板や広告の類がずらり。
地上は官庁街という風情で、高すぎない品のいい建物がそれぞれの区画に座を占める。
5分ほど整然とした気持ちのいい道を歩けば目的地だ。

 

さて、今夜の観劇はKAAT神奈川芸術劇場。谷賢一演出の「三文オペラ」。

ドイツの劇作家・詩人、ベルトルト・ブレヒト。日本でも全集が刊行され、今でもしばしば上演される。
演劇を少しでも学んでいれば、その演劇理論は避けては通れないだろう。
三文オペラ」は言わずとしれた代表作である。


今回の肝、というか大きな試みは、観客に作中の「乞食」を演じさせる、というもの。
前方の観客席に、当日レッスンを受けた「乞食役」の観客がおり、声を上げたり、手を叩いたり、乞食として舞台にあがり行進するシーンもある。

 

正直に言おう。興ざめだった。
その興ざめだった理由が知りたくて、こうして筆を執っている。

 

乞食以外の演出については、非常に面白いポイントもあり、特にラストシーンは、脚本上そもそも不条理なのだが、その不条理に演出で不条理を重ねてくる仕掛けがとても痛快だった。

圧倒的なストーリーのおもしろさに、キャラクターも立っていて舞台を大きく使い、見せ場も多かった。


興ざめの原因。
端的に言えば、乞食を演じている観客が乞食に見えなかったこと、後方の客席からだと、かえって自分と遠い出来事のように感じてしまったことにあると思う。

 

役者たちの乞食にはキャラ付けがある。何を訴えかけ物乞いするのか、現代社会の構造のなかでどんなふうに搾取された存在なのか。
そういったものが一切ない。
ただ、指示通りに声を上げているだけなのだ。ト書きに書いてあるからそうしました、意味はわかりません、とでもいうように。
政治信条はないのに、デモに参加しシュプレヒコールでもあげているような気味の悪ささえ感じた。

 

演劇には興味ないけど、なんか面白そうなことやってるから参加しました。
……という「乞食役」がいっぱいいたのではないか。
演劇というよりイベントのひとつ、という感覚。

これは、たまたまその回の乞食がどうこうということではなくて、決定的に演出の失敗だと思う。

 

決して演劇は演劇ファンだけのものではないし、もっとカジュアルになればいいと願っている。
しかし、舞台と客席の距離を近くしただけでは、カジュアルにはならないのだな、と考えさせられた。

 

観客席にわざわざ乞食を仕込むなら、観客の全員が「乞食」になる(なったと錯覚する)必要があるのではないか。
少なくとも私は興ざめだった。


3時間という上演も長い。
音楽劇なのだが、歌唱力的に厳しい役者がちらほらおり、歌がもっと短い方がよかった。
特に2番3番と続いて、聴くのがつらいと思うことが何度かあった。

 

せっかくの音楽劇ならもっとエンタメエンタメしてほしかった。

技術の進歩に伴って、エンターテイメントが多様化する中、演劇にしか達成できない境地、演劇の在り方、立ち位置ってどんなものだろう。
やはり「ライブ」であることははずせないと思うのだが。ライブであるからには全編に緊張感がないと、そもそも観客を楽しませるエンターテイメントとしては成立し得ないのかな、と思った。
だとしたら、この座組みで3時間は長すぎた。

140字にあらがう・自己紹介にかえて

タイムラインを眺めているだけで、気がついたら30分も経っている。

とめどなく流れ過ぎ去っていく情報の洪水の中で、わたしは何を掴もうとしているんだろう。

 

そんな問題意識から、はてなブログを開設しました。

 

綴りたいことは、観劇の記録。

決して背伸びせず、大風呂敷を広げることもなく、自分の言葉で、縦横に、140字では語れない深さと誠実さとで。

 

いい本に出会ったら、そのことも書きたいです。